甲府城内に温泉があった可能性ありという考古学的見解

この間紹介した足湯付きお座敷新幹線「とれいゆ」。7月19日から運行が開始されるようで、結構話題になっていますね。
若い女性に足湯がブームとなって以降、現在では様々な施設に足湯コーナーが用意されています。とれいゆについてもその流れでしょうが、変わり種の足湯付き施設と言えば、なんと足湯付きの城というものがかつてあったそうです。そのお城、甲府城があったのは、温泉の湧出量も多い山梨県甲府市。

甲府城というのは誰の城?


甲府と言えば、有名な戦国大名、武田信玄の本拠地です。信玄は山梨県と近隣の県に「隠し湯」をいっぱい持っていたことが知られるほど温泉好き。また、群馬県の草津温泉のあたりまで支配領域を拡げた際には、湯本善太夫という領主から大量の湯の花の献上を受けています。
ただし、甲府市にある甲府城と武田信玄は全く関係がありません。武田信玄の居城は躑躅ヶ崎館という同じく甲府市にあった中世城郭で、その後武田氏最後の当主となった武田勝頼は韮崎市の新府城というところに本拠地を移しています(引っ越してまもなく織田氏・徳川氏に攻められ火を放ってしまうのですが)。甲府城は攻め滅ぼした側の、おそらくは豊臣秀吉か徳川家康によって築城されたのではないかと言われています。
その後、江戸時代を通じて甲府の街の中心にありましたが、明治維新とともに廃城となります。現在でも城の石垣がJR中央本線の甲府駅のすぐそばにあり(というよりは、中央本線が甲府城跡を貫通して通っているのです)、甲府市のシンボルとして愛されています。
ということで、甲府城はあえていうなら江戸時代の甲府城代の城ですね。

発掘調査で明らかになった、甲府城内の温泉


甲府城の跡は市街地として開発されている部分もあるのですが、今回新たに跡地の一部に山梨県議会の委員会棟を建てることになり、発掘調査を行ったところ、5メートル四方の石積みの浴槽のようなものが見つかり、さらにその部分の土壌から高濃度の硫黄が検出されたということです。
そうした考古学的証拠だけなら、武田信玄が湯の花の献上を受けた話のように、ただの湯の花を使った人工温泉の浴槽がそこにあったというだけの話かもしれないで終わるのですが、甲斐国の地誌である『裏見寒話(りけんかんわ)』という書に、甲斐国の温泉は「湯村・下部・塩山・川浦・黒平・板垣・教安寺・西山・御城内」とあります。御城内とはまさにこの城内温泉だと思われるのですが、肝心の湯の感想は、「御城内なので試したことある人もいない」と書かれています(笑)。
また、江戸時代前期の甲府城を描いた絵に、まさにこの遺構がある場所に「湯出る」と書いてあるそうです。「湯」が「出る」ならばそれは立派に温泉の条件を満たしています。
浴槽の遺構に残った跡を見るに、湯の深さは膝までくらいであったようで。体を深々と沈めて浸かるよりは、半身浴か足湯程度のものであったことでしょう。

甲府城温泉の泉質はどうだったのでしょう?


温泉マニアとしては、この甲府城温泉の泉質が気になります。遺構が発見された丸の内に一番近いところの温泉は、甲府市内旅館組合第一号泉ではないかと思われるのですが、湯温46℃のナトリウム-塩化物・炭酸水素塩泉で、湯の花も豊富に浮かぶような大変評判の良い温泉です。ちなみに、この温泉に掛け流しで入れる「談露館」という創業120年の格調高いシティホテルが隣にあります。



甲府城の城主は、わりと良いお湯に入っていたようです。良い身分です。

甲府城内に温泉があった理由 少しは武田氏に関係あるかも


甲府城主といい武田信玄といい、どうして温泉にこだわっていたのかというと、実はちゃんとした軍事的な理由があります。合戦で負傷した兵士の、傷の治療のためであったということらしいのです。
当時の医療技術のレベルですと、大きな傷を負った兵士が傷口を化膿させずにおくことが難しい。負傷は文字通り命取りだったのです。そこで、硫黄分の多い温泉につかって殺菌消毒をする。このように武田氏が「隠し湯」を沢山持っていたというのは、兵士を使い捨てにせず活用するためだったのです。だからこそ湯の花の献上が大いに喜ばれたのです。
そして、武田氏の本来の居城は、石和温泉のあたりにあったといいます。温泉を軍事に結びつける発想は温泉地から生まれて、甲府の地に伝えられ、その結果が城内の温泉へと繋がっていったのではないでしょうか。
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温泉が好きな国内旅行マニアです。色々な温泉に入るうちに、温泉のことをもっと知りたいと思うようになってきました。気になる美容・健康との関係についても調査しちゃいます!

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